幼少期からダンスの英才教育を受け、ダンサーとして、またダンス指導者として30年以上もダンスに関わる活動をしてきたChika。有名アーティストのバックダンサーとして活躍していた時に襲われたアクシデント。
その後、自らステージに上がる事を断念していたChikaに、別の形で再びステージに立つ機会が巡ってきた。現在ダンス指導者として、また自らが選手としてもステージに立つChikaをクローズアップする。
必然的にダンスをする環境
物心ついたころ(正確に言うと3歳から)には既にダンスを始めていたChika。それから現在まで、ダンス一筋32年にもおよぶ。近年では公立中学校でダンスが必須となり、一昔前よりも確実に一般にも定着している感のあるダンス。学校教育の中では団結力や協調性を養うのに最適ということではあるが、ダンス経験の無い学校の先生が、それを教えられるかというと正直それは難しいので、必然的にダンス指導者の需要は高まっているといえる。
もともとChikaの家庭は体育会的趣向が強く、何かスポーツをやらせたいというご両親の考えと、叔母がダンスの先生をやっていたこともあり、ごく自然に幼少期からダンスを開始することとなった。
最初は身体の使い方の基本を身につける為にクラシックバレエ教室へ通い、その後ジャズダンス、そしてヒップホップへと移行していった。今から30年以上前は、今とちがって、ダンス人口は少なく、多くの子どもたちはクラシックバレエを習っていたが、本人曰く「クラシックバレエというキャラクターじゃなかった」とのこと。
そんな理由でジャズダンスに移行した時に、もともと持っている体型が「人より手足が長くて才能があるのではないか」と母親が感じ取ったことにより、それからというもの、Chikaはダンスの英才教育を受けることになった。
現在はヒップホップがメインだが、もちろんジャズダンス、ラテンなど…何でも踊ることができる。その他、ダンスのために体幹を強化したり、カラダのメンテナンスのためにヨガやピラティスも取り入れていて、それについてもレッスンを担当している。
ゴールドジム幕張のレッスン生の皆様と
突然襲われたアクシデント
自身がダンサーとしても最も輝いていた20代の頃、Chikaは有名アーティストのバックダンサーを担当し、そのツアーに同行する生活が続いていた。28歳の時、あまりの忙しさで疲労が蓄積して、めまい・頭痛・耳鳴りがするようになっていった。
それでも、任された仕事をこなさなければならず、「単なる疲れだからすぐに治るだろう」と高をくくって、病院に行くことなくそのまま放置していた。するとある日、突然「プチン」といって、目の前が真っ白になり、感覚がおかしくなって立つこともままならない状態になり、即入院。突発性難聴を発症し、不運なことにその日から片方の聴力は失われてしまった。
それからしばらくは、踊ることすらできない事態となり、ダンスの世界から身を引くことまで考え、思い悩んだ。
そんな状況を見かねた両親が「自分がステージに立たなくても、指導者としてなら今までの経験を役立てることはできるでしょ」とアドバイスしてくれた。そしてChikaは泣きながら決断した…もうステージには立たないと。
ダンス指導者として再出発
身体の方は、病気の発症後、しばらく平衡感覚が戻らず何をやってもダメな状態だった。しかし、ダンスの感覚は身体が覚えているので、半年ほどすると徐々に踊ることができるまでに回復していった。今までステージに上がり、スポットライトを浴びてきたChikaではあるが、指導者に専念するという決断をしてからは、もう迷うことはなかった。
それからは自分がステージに立っていた時よりも、精力的にダンスの為に活動をしていった。ダンスコンテストでの審査員をしたり、小中学生対象のダンススタジオを都内に1カ所、千葉市内に3カ所、合計4カ所を次々にオープンさせ、子どもたちから絶大な信頼を得ていった。
スタジオでは単にダンスを教えるだけでなく、挨拶、礼儀、仲間や友達に対しての思いやりなど、内面的な教育も行い、かなり厳しい指導をしているけれど、仲間と共に1つの目標に向かって邁進させ、出来たときはみんなで喜ぶことを決して忘れない。
また、Chikaの活動はそれだけに留まらず、市や県などのダンスイベントをプロデュースしたり、お祭りや老人ホームへ慰問、さらには自らのスタジオが主催するイベントを半年に1回行い、ダンス以外の活動として、かわいそうな動物たちを救う為に、子ども達が書いた動物の絵や手紙を飾り、募金活動も行っている。
別の形でステージ復帰
TC PROJECTキッズの生徒たちと
突発性難聴になって以降、表舞台から退いていたが、昨年開かれた“ビキニ”という競技の存在を知ることになり、その大会の写真に目を奪われた。もともとダンスレッスンと並行して、ウェイトトレーニングもしていたChikaにとって、日々の鍛錬を通して美しい身体をステージ上で表現するという魅力にとりつかれ、自分が指導している子ども達にもう一度輝いている姿を見せてあげたいという気持ちになった。
長年競技の世界に生きてきたChikaは出場するだけしてダメだったというのは自分が受け入れることができないので、何としても結果を出すために、日夜トレーニングに明け暮れていた。
そんなある日、生徒達が恐らく特注品であろう、ヒョウ柄のダルマをプレゼントしてくれた。ダルマを手にして自分のトレーニングと子ども達のダンス指導を両立させ、どちらも悔いが残らない結果にしようと自ら手綱を引き締めた。
ビキニ競技について
ビキニの競技を始めて感じたことは、その奥深さ。周りの選手達を見ていると、僅かな期間で見事にカラダを変化させてくる。今までダンスでは、ある程度事前に、こういうチームカラーだとか、こういう踊り方だとか予想できたものだけれど、コンテストに向けての調整は自分も含めてどう変化するのかわからない。だからこそ面白い。負けてたまるか精神でChikaは頑張る。
大会になれば、皆「自分の身体は凄いのよ!」とやってくる。それはダンスも同じ。ある意味そういう雰囲気は慣れているので、同じ感覚である。負けるのは嫌だけれども、勝負の世界だから、それを受け入れるキャパは持っている。ライバルはたくさんいた方がいい、と自分の闘争心に火を付けている。
昨年8月の全日本大会がビキニの選手としての初舞台だった。結果はトールクラス2位。ベテラン陣を押さえていきなりの2位ではあるが、Chikaはそれを冷静に受け止めていた。
次のターゲットは10月の
日本グアム親善大会。その大会には8月に負けた全日本のチャンピオンも出場する。リベンジには最高の舞台であった。
その日に向けて、トレーナーの指導のもと、トレーニングをやり込み、食事管理も徹底的に行った。ライバルがいるから頑張れる。その一心で全日本チャンピオンの胸を借りるつもりで大会に臨んだ。
その結果はトールクラスにて全日本チャンピオンを破り、見事に優勝を獲得し、一躍ビキニの世界でも注目の選手となった。そして、今年は4月に日本で開催されるアジア大会に向け、日々のトレーニングに励んでいる。
Chikaからのメッセージ
ダンスでもビキニでも、ステージはいつでも勝負の世界。ライバルは年々増えて、結果はどうなるかわからない。でも、Chikaはその分勝つためのトレーニングしているので、大丈夫。やらないで負けるのは納得いかないけど、とことんやって負けたならば納得がいく。勝つことも負けることもたくさん経験してきたから。不測の事態がふりかかってきたり、障害を持っている人達も諦めないで欲しい。夢を諦めないで!!
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- CHIKA (椎名 智香子)
TCproject代表取締役
doublehead ダンススタジオ代表
teamCHIKAキッズ ダンススクール代表
NPO法人日本パフォーマンス普及協会理事長
<ダンスタイトル実績>
●KUNOICHI専属振付
●ロマコンJAPAN
●danceフェスタ3連覇
●台北dance contest優勝
●GIObeASia dance contest3位
●数々のアーティストのバックダンサー・ツアーダンサーとして出演
●CM振付、PV振付、舞台振付構成も数々手掛ける
現在は指導、振付、ダンスコンテスト審査員に比重をおいているが、ゲストで呼ばれショーに出演する事もある
フィットネス&ボディメイク情報誌
[ PHYSIQUE MAGAZINE 005 ]