ビキニコンペティター松本 香生里 アーノルド・アマチュア2015に出場!
2015年3月、アメリカ・コロンバス「アーノルド・アマチュア」のステージに立ったビキニ・コンペティター 松本香生里。結果は残念ながら、予選通過はならなかったが、世界的なアーノルドのステージに競技者として立ったその心境を語ってもらった。
尚、このインタビューはコンテストの翌日(3月7日)コロンバスの会場近くで行われたものである。コンテストを終えて安堵の気持ちと悔しさ、そしてやり遂げた感…諸々の感情が入り混ざって取材中、感極まる場面もあり、アーノルドにいたるまでの道のりの険しさを伺い知ることができた。
最高の環境でビキニを始めた
昨年からご主人の仕事の関係で、憧れのアメリカ暮らしを現実のものとした松本選手はロサンゼルス(以降LA)にいる頃、初めてアメリカNPCのビキニコンテストであるカリフォルニア選手権のノービス部門に出場して、5位入賞を果たしていた。
LAでは、郊外のトーランスという地域に住んでいた。普段は近くのフィットネスクラブに通い、週末にはご主人と一緒に30分くらいドライブして、ベニスのゴールドに通う生活をしていた。トレーニングをする者にとっては聖地であるベニス。ゴールドジムに行けば、周りには凄い身体をしたプロ達が普通にトレーニングをしているので、当然のことながら刺激が強く、いつかこうなりたいとビキニへの情熱があふれてきた。
そんなとき、ベニスに常駐する世界的に有名な名トレーナーであるチャールズ・グラスと話す機会を得られて、ビキニ選手になりたいと話したところ、「君はシルエットが良いので、カラダをしっかり作れば、問題ない」と言われ大きな自信になった。
それまでのコンテストキャリアとしては、日本でその前年に東京オープンのビギナークラスに出場しただけであったが、このようにトレーニング環境に恵まれたことで、必然的にビキニ競技にチャレンジしてみることになった。NPCカリフォルニア選手権では5位という、自分でも考えてもいなかった結果が出て嬉しくなり、もう少し頑張れば、もっとできると前向きな気持ちになって、自然と次の大会を目指すようになった。
ところが、その後2ヶ月後に行われたロサンゼルス選手権では調整の失敗でトップ10にも入ることができず、その受け入れ難い結果はそれ以降、心に重くのしかかることになった。そして、そんな心情の中、時を同じくしてLAからサンフランシスコ(以降SF)へ移り住むことが決まってしまったのである。
SFと聞けば、日本人からすればオシャレで住みやすい街というイメージだが、LAのような明るく陽気な気質ではなく、完全な白人社会で有色人種に対する差別的感情も根強く残っていたり、少し裏道に行けば治安の悪さもカリフォルニアでもトップ3に入るほどだということだ。
SFでの生活は今までイメージしていたものとはかけ離れてしまい、生活習慣や差別的な行為に悩まされ、楽しい筈の生活は一変、引きこもり状態が続き、完全にメンタルがやられてしまい、日本に戻りたいという意識が強くなるほどであった。
そんな生活がしばらく続き、陰に籠もっていた彼女を突き動かしたのはご主人の言葉だった。「何か目標があったらいいのではないか?もしどこかの大会に出るならば、どうせならコロンバスに行ってアーノルドにチャレンジしてみれば」。それは思いも寄らぬ言葉だった。しかしアーノルドまであと8ヵ月。調整するには十分な期間である。何より、現在の生活に悩まされ、目標を失った自分を立て直すためには、このチャレンジを決行するしかないと思うようになった。
目標が決まってからというものはトレーニング、食事指導、ポージング指導とすべてにおいて、IFBBビキニプロのコーチに見てもらい、ビキニ競技のための身体作りを徹底して行った。コーチはLAにいるので、指導の大半はメール。そしてポージングについてはskypeのカメラでリアルタイムに見てもらった。トレーニングや食事は男性のコーチでもよいが、やはりポージングだけは男性ではわからないことなので、ビキニのプロから教わらないといけないという。
アーノルド当日の様子やビキニのトレーニング方法とは? 続きは PHYSIQUE MAGAZEINE 006号をチェック! |
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- 松本 香生里(まつもと・かおり)
身長:167.5cm
1980年6月23日
石川県出身
フィットネス&ボディメイク情報誌
[ PHYSIQUE MAGAZINE 006 ]